大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

盛岡地方裁判所 昭和29年(行)25号 判決 1956年4月10日

原告 間沢市五郎

被告 岩手県知事

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告が昭和二十三年十一月一日附岩手牧ち第四九七号買収令書をもつて岩手県九戸郡大野村大字大野第五十一地割二十七番の一字高森分山原野二十七町二反九畝十八歩につきなした買収処分の無効であることを確認する、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、大野村農地委員会は昭和二十三年九月九日原告の所有であつた請求趣旨記載の原野につき旧自作農創設特別措置法(以下単に旧自創法と略称する)第四十条の二第一項第二号に該当する小作牧野として牧野買収計画を樹立して翌十日その旨公告し、右同日から十日間書類を縦覧に供したに対し原告は異議訴願の申立をしなかつたところ、被告知事は県農地委員会の所定の認可手続を経て同年十一月一日附の請求趣旨記載の買収令書を発行し、昭和二十四年三月五日訴外間沢丑蔵宛にこれを送付して右原野を買収した。

しかしながら右買収処分には次のような違法がある。

(一)  前記買収令書の名宛人は訴外間沢丑蔵外一名と記載してあつて原告の名は表示されておらず、従つて右買収令書を右訴外人宛に送付しても右訴外人に対する交付としてはとにかく原告に対する適法な交付とはならないから右買収処分は原告に対する関係では効力を発生していない。

(二)  前記二十七番の一字高森分山原野二十七町二反九畝十八歩は前主晴山吉三郎所有当時は薪炭林として利用されて来たのであつたが、昭和十八年四月原告がこれを買受取得後は一部に数十本の松を植栽し、その他の部分は松の天然造林地として専ら林木の育成に努めて来たので、前記買収計画樹立当時の現況は樹令約十七年の赤松の密生した山林であつた。もつとも原告は右原野にその所有の牛馬年間十二、三頭を放牧した外、他の者に原告の預托牛馬年間約十頭を放牧せしめたことはあるが、しかし右原野の主たる使用目的は飽くまで林木の育成にあつて牛馬の放牧又は採草にあつたのではないからこれを牧野ということはできない。しかるに右原野を旧自創法第四十条の二第一項第二号に該当する小作牧野として買収したのは山林を小作牧野と誤認した違法がある。

(三)  原告は前記原野二十七町二反九畝十八歩以外に原野を所有していないから、右原野を買収されるにおいては採草放牧に事欠き原告の農業経営上多大の支障を来すべく、従つてかかる結果を招来するような買収処分は相当ではない。

以上いずれの点よりするも右買収処分は違法であり且つ右の違法は重大且つ明白であつて無効の瑕疵に該当するからこれが無効であることの確認を求めるため本訴請求に及ぶと述べた(立証省略)

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張事実中、その主張日時大野村農地委員会が原告の所有であつたその主張の二十七番の一字高森分山原野二十七町二反九畝十八歩につき、旧自創法第四十条の二第一項第二号に該当する小作牧野として牧野買収計画を樹立してその旨公告し書類を縦覧に供したに対し、原告より異議訴願の申立なく、次いで被告知事が県農地委員会の所定の許可手続を経た右買収計画に基き原告主張の記載ある買収令書を発行し訴外間沢丑蔵宛にこれを送付して右原野を買収したことは認めるが原告その余の主張事実は争う。

(一)  原告は右買収令書の名宛人は訴外間沢丑蔵外一名と記載したのみで原告の氏名を表示せず、右買収令書を右訴外人宛に送付しても原告に対する適法な交付とはならないから原告に対する本件買収処分はその効力を発生していない旨主張するけれども、原告訴訟代理人は、昭和三十年二月八日の本件口頭弁論期日において、原告が昭和二十四年三月五日前記買収令書の交付を受けた旨自白しながら、昭和三十一年三月六日の本件口頭弁論期日において右自白を撤回し前述のように陳述したのであるが、右自白の撤回には同意しない、自白を援用する。仮に撤回されたものとしても、同一世帯内に買収の相手方が数名ある場合必ずしも買収の相手方毎に個々の買収令書を作成の上各別にこれを交付することを要するのではなく、このような場合世帯毎に一括し、買収の相手方と買収の対象物件との関係を明らかにした一個の買収令書を作成してこれを世帯主宛に送付する方法をもつてする交付で足りるのである。けだしこのような交付方法をとれば買収の相手方である他の世帯員は直ちに買収処分の内容を了知し得、その権利の擁護につき、格別の支障を来たすことはないからである。

本件において、原告は訴外間沢丑蔵の子であり且つ同一世帯に属している関係上、被告知事は右両名からそれぞれその所有の土地を買収するに当り、間沢丑蔵から買収すべき土地と原告から買収すべき前記土地の内訳を明確に記載した目録を添付して前記買収令書を発行したのであり、これによれば名宛人は間沢丑蔵外一名と記載されてはあるが、ここにいう外一名とは右目録に照らすとき原告を指称すること一見明瞭である。しかして右買収令書が世帯主である間沢丑蔵宛に送付されたのであるから、同一世帯員である原告に対してもその交付がなされたと同一の効力を有するものというべきである。

(二)  前記買収計画樹立当時における前記原野の現況は、一部に赤松柏その他の雑木の稚木が群生していたとはいえ大部分は草生地であり、全体としてこれを見るとき牧野と認め得べき状況であつた。しかして昭和十八年頃以降訴外間沢馬吉外十一名の者が有償で原告から右原野を借り受けて毎年数十頭の牛馬をこれに放牧し、専ら林間放牧地として使用して来たのであつて正に旧自創法第四十条の二第一項第二号に該当する小作牧野であり右法条に則りこれを買収し得べきこと勿論である。

(三)  原告は他に相当の牧野を所有しているから前記原野を買収されても採草放牧に事欠かず営農上別段の支障はないのであり、前記買収処分を目して相当でないということはできない。

以上いずれの点よりするも前記買収処分は適法であつて何ら原告主張のような違法はないから、原告の本訴請求は失当であると述べた。(立証省略)

理由

昭和二十三年九月九日大野村農地委員会が原告の所有であつた岩手県九戸郡大野村大字大野第五十一地割二十七番の一字高森分山原野二十七町二反九畝十八歩につき、旧自創法第四十条の二第一項第二号に該当する小作牧野として牧野買収計画を樹立してその旨公告し書類を縦覧に供したに対し、原告より異議訴願の申立なく、次いで被告知事が県農地委員会の所定の認可手続を経た右買収計画に基き、原告主張の昭和二十三年十一月一日附の請求趣旨記載の買収令書を発行し、昭和二十四年三月五日訴外間沢丑蔵宛にこれを送付して右原野二十七町二反九畝十八歩を買収したことは当事者間に争いがない。

(一)  原告は、前示買収令書にはその名宛人として原告の名前が表示されておらず、従つていまだ原告に対し買収令書が適法に交付されていないから、本件原野に対する買収処分はその効力を発生していない旨主張する。しかしてこの点に関し、原告訴訟代理人は、昭和三十年二月八日の本件口頭弁論期日において、昭和二十四年三月五日右買収令書が原告に交付されたことを認める旨陳述しながら、昭和三十一年三月六日の本件口頭弁論期日において、右陳述は真実に反し且つ錯誤に基くものであるからこれを撤回すると主張し、これに対し被告訴訟代理人はすぐに右原告の陳述の撤回には同意しない、右原告の自白を援用すると主張し抗争する、まずこの点について検討する。

名宛人として間沢丑蔵外一名と記載した前示買収令書一通が間沢丑蔵宛に送付されたことは当事者間に争いがないのであり、ただ原告は、このような買収令書の送付では原告に対する関係では買収令書の交付の効力を発生しないというのであり、これに対し被告は、右買収令書は間沢丑蔵と原告の双方に対するものでこれを世帯主である間沢丑蔵宛に送付した以上、原告に対してもその交付があつたと同一の効力を生じた旨主張しているのであり、帰するところ右買収令書の間沢丑蔵宛の送付が同時に原告に対しても買収令書交付の効力を生ずるかどうかについて原被告の法律上の見解が対立しているにすぎない。原告訴訟代理人の昭和三十年二月八日の本件口頭弁論期日においてなした陳述は、結局のところ、間沢丑蔵宛の前示買収令書の送付は原告に対する交付としての効力があるとの法律上の見解を表明したにとどまり、原告に対して原告宛の買収令書が送付されたという事実そのものを自白したのではない。(被告も原告宛の買収令書を原告宛に送付したといつているのではなく、間沢丑蔵宛に送付したがその効力は原告に対しても発生したといつているのである。)しかして昭和三十一年三月六日の本件口頭弁論期日において、原告訴訟代理人は右陳述を撤回して、右買収令書の送付の方法をもつてする交付は原告に対してその効力が発生しないとさきと異る法律上の見解を表明したまでのことである。もとより単なる法律上の見解は自白の対象としての具体的事実ではないから、事実に関する自白におけるような拘束を受けるものではなく自由にこれを撤回するに何ら妨げないものといわなければならない。

そこで間沢丑蔵宛の前示買収令書の送付が、果して原告に対する関係においても買収令書の交付の効力を発生したかどうかについて考察することとする。

成立に争いのない甲第一号証買収令書によれば、その名宛人欄には間沢丑蔵外一名と記載されているのみで外一名とは果して何びとを指称するのかそれ自体では明らかではない。しかし、右買収令書と一体をなし、その内容を補充すべき添付目録と照らし合せれば、右買収令書によつて、間沢丑蔵はその所有の土地七筆合計九十二町三反五畝十八歩を、原告はその所有の本件原野二十七町二反九畝十八歩をそれぞれ買収されたことが明らかであり、従つて右にいう外一名とは原告を指称するものであることは買収令書自体によつて一見明瞭である。

ところで旧自創法第九条の規定によれば、「第三条の規定による買収は、都道府県知事が前条の規定による承認があつた農地買収計画により当該農地の所有者に対し買収令書を交付して、これを買収しなければならない」とあり、この規定は第四十条の五によつて第四十条の二による牧野買収に準用されている。これによつてみれば、旧自創法は買収の相手方毎に買収令書を作成して各別にこれを交付するのを建前としていることが窺い得られるのであつて、数名の者から各自の所有土地を買収するに当り、便宜一括して一個の買収令書を作成し、右数名の名宛人宛にそのうち一人のみにこれを送付することは、右数名間に予め受領権限の委任がある等特段の事由でもない限り、違法であつて他の者に対する関係ではその適法な交付があつたものとはなし得ず、従つて買収処分の効力が発生しないものといわなければならない。

しかし同一世帯に属している数名の世帯員からそれぞれその所有の土地を買収する場合、買収の相手方と買収土地との関係を明確にした上で一個の買収令書を一括記載し、且つ買収の相手方たる世帯員全員をその名宛人と表示して、そのうち一人の者(通常は世帯主)にこれを送付する方法をとつたとしても、世帯員間では通常相互に代理関係にあるものと解すべきであるのみならず、このような交付方法をとつたからといつて、同一世帯員であれば通常各自その所有土地を買収された事実を直ちに了知し得、法定期間内に適法に出訴する等の方法により、その権利を擁護する機会を不当に奪われる結果となるようなことも殆どないのであるから、かかる買収令書の交付方法は法の建前からいつて好ましくないことはいうまでもないけれども、しかしだからといつて直ちに重大且つ明白な瑕疵があり、他の世帯員に対し買収令書交付の効力従つて買収処分の効力が発生しないものとはなし得ないのである。本件において、証人間沢辰次郎(第二回)の証言によれば、原告は間沢丑蔵の子で同一世帯に属しており終始生活を共にしているものであることを認めることができ、右認定を左右するに足りうる証拠がない。そして原告は現に前示買収令書が父間沢丑蔵に交付されたことによつて原告所有の本件原野が買収された事実を知り、適法に出訴期間内に本訴を提起し得たものであるから、前段説明の趣旨において、右買収令書の間沢丑蔵宛に送付する方法をもつてする交付は原告に対する関係においても当然に無効であり、従つて本件買収処分は原告に対し当然無効であるものということができない。この点に関する原告の主張は失当である。

(二)  次に原告は、本件買収にかかる二十七番の一字高森分山原野二十七町二反九畝十八歩は、大野村農地委員会による前示買収計画樹立当時における現況山林であつて小作牧野ではなかつたから、右買収処分は現況山林を小作牧野と誤認した違法がある旨主張するので、この点について判断する。

証人間沢辰次郎(第一回)、間沢丑蔵、間沢馬吉、下道定、下道作次郎、竹高喜知郎の各証言及び検証の結果並びに鑑定人武藤益蔵の鑑定の結果(但し後記採用しない部分を除く)を綜合すれば、本件原野は九戸郡大野村字権谷部落の北東部に位置する標高約二百米の丘陵地帯の一部で、東南側は道路及びこれに沿つて築かれた土畳をもつて、北側は東西に通ずる道路をもつて、西側は北から南に流れる沢をもつて囲まれた三角形の地形で、略中央附近を北東から南西にやや大きな峯が走り、その北西側に三個の小さな峯が同じ方向に走つていて、これら峯の頂附近にやや急傾斜を呈する箇所もあるが、全体としてこれをみると、北東から南西にかけて五度ないし十度のなだらかな傾斜をなす比較的起伏に乏しい地勢であること、しかしてその林相は、北西部約十六町歩と東南部約二町の範囲に、樹令約十七年、胸高直径四ないし十三糎、樹高三ないし五米の赤松が広く連つていて、その生立状況は、所によつては相当密で樹冠密度三十%を超える箇所もないではないが、概して疎らで樹冠密度も三十%以下であり、また中央附近の峯の周辺には樹令約八年の柏の萠芽樹がやや多く、右峯を超えて西北方に進むにつれて柏は少く、赤松を主としこれに榛木その他の雑木が混じて小群状に疎生しているが、その他の部分は草生地であり、右立木の比較的密生した地帯においても樹間は割合に疎隔していて人馬の通り抜けに何ら支障なく、殊に東南部分のうち前記土畳に接した相当面積の部分は担々として広濶な一帯の草生地で常時牛馬によつて踏み固められ且つ地上の草が万遍なく食まれたため、あたかも手入直後の芝生状をなし、ここに一叢、彼処に一叢の赤松を点在し、放牧場として申分のない見事な景観を呈していること、しかして現在の林相から推すに、昭和十四、五年頃前主晴山吉三郎所有時代に地上の立木を殆ど伐採し尽したため、前示買収計画が定められた昭和二十三年九月当時における立木の生育状況は、十年生前後の赤松及び柏その他の雑本の稚木が群生するにすぎず、その樹高は現在に比べ遥かに低く赤松にしてもせいぜい二米内外で、枝条の拡張もまたもとより狭く、従つてその樹冠密度も極く疎らで、所によつては三十%以上の箇所があつたにしても概して三十%以下であつたものと推察されること、ところで本件原野は前主晴山吉三郎所有当時は訴外東申松なる者がこれを借り受けて採草地として使用していたので部落民はこれを東刈場と呼んでいたこと、昭和十八年四月原告がこれを買受取得するや、当初これを赤松の人工及び天然造林地とする予定の下に一部に数十本の赤松を植栽したこともあつたが、間もなく家族の者が相次いで応召出征して人手不足となつたため右計画を中止し、爾来右原野の利用方法を変更しこれを牛馬の放牧地となすべく、その頃県に補助金を申請してその下付を受け、放牧牛馬が越境するのを防ぐため右原野の東南隣地との境界線上に長大な土塁を築き、これを訴外間沢馬吉外十一名の者に放牧地として貸し付け、同人らから放牧料として当初牛馬一頭につき年三円、後に増額して十円宛徴収し、原告自らもその所有牛馬を放牧したので、右原野に放牧される牛馬は年間合計五、六十頭に及んだこと、以上の事実を認めることができる。右認定に反する証人晴山吉三郎の証言は前記各証拠に照らし措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠がない。

およそ旧自創法上牧野とは当該土地の利用目的が主として家畜の放牧又はその飼料若しくは農耕用の堆肥を作るための採草にあれば足り、時に地上生立の立木を伐採して薪炭材を生産したりすることがあつてもこれを牧野というに妨げないのであり、また山林か牧野かを認定するに当り、立木の樹冠密度が一応の基準となり得るけれども、しかし樹冠密度三十%以上のものが牧野であり、三十%以下のものが山林であるとは直ちに断定し得ないのであつて、ただ通常樹冠密度三十%以上の場合は当該土地の主たる使用目的が林木の育成にあり、従つて林間放牧又は採草の目的に利用し難い場合が多いといい得るにとどまり、樹冠密度の大小が常に必ずしも山林か牧野かを決定する絶対的認定基準となるものでないことは多言するまでもないところである。

本件原野は、前示認定のとおり、その地勢比較的起伏に乏しく、そのうち相当面積は広濶平担な草生地をもつて占められ、しかも西側に南流する沢が控えているので飼料と飲料に恵まれ牛馬の放牧には正に恰好の条件を備えているものというべく、もつとも相当地域にわたつて松その他の立木が所によつて密に生立しているけれども、全体としてはいまだ山林と目し得べき状態ではなく、却つてこの程度の立木の存在することは夏季における日照から放牧牛馬を遮蔽する意味において寧ろ林間放牧地としての条件を好くこそすれ悪くするものではない。しかも本件原野の前示買収計画樹立当時における主たる使用目的は林間放牧にあつて林木育成にあつたのではないのであるから、これを旧自創法上いわゆる小作牧野に該当するものと認めるに何ら妨げないものといわなければならない。鑑定人武藤益蔵の鑑定の結果中右認定に反する部分は採用しない。

してみれば大野村農地委員会が本件原野につき旧自創法第四十条の二第一項第二号に該当する小作牧野として牧野買収計画を樹立したのは相当であり、従つてこれに基いてなした被告知事の本件買収処分もまた適法であつて何ら原告主張のように現況山林を牧野と誤認して買収したという違法はない。この点に関する原告の主張もまた失当である。

(三)  次に原告は、他に採草放牧地を有しないから本件原野を買収されるにおいては今後の営農上支障を来す結果となるべく、従つて本件買収処分は相当でない旨主張するけれども、仮りに原告主張のように原告が本件原野以外に採草放牧地を有せず、本件買収により全部これを失う結果になるとしても、旧自創法第四十条の二による牧野買収には同条第五項により同法第四条の規定が準用され、同一世帯に属する世帯員の所有牧野はこれを合算し法定の保有面積を超過するかどうかを算定すべきものとされているので、その結果世帯そのものとしては法定保有面積だけ確保し得ても、或る世帯員の所有する牧野が全部買収されることもあり得るわけであつて、旧自創法が世帯を単位に計算する建前をとる以上これまたやむを得ないものとしなければならないから、かかる結果になるとしても右買収処分をもつて相当でないとなすことができない。この点に関する原告の主張もまた失当である。

よつて原告の本訴請求は失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村上武 須藤貢 佐藤幸太郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例